【日本語世代】元日本兵の蕭錦文さんにお話を聞いてきました。軍歌と日本統治下の幼少期の思い出<19年5月>

4月8日にお誕生日を迎えられた蕭さんに、お誕生日のお祝いを兼ねてお家までお伺いさせて頂きました。下半身は不自由だけど、上半身は元気です!と笑顔でした。

本日は、蕭さんに「日本の歌」と「日本統治時代の思い出」をお伺いして来ました。

蕭錦文さんについて

1926(大正15)年に日本統治下の台湾で生まれ。陸軍へ志願し、インパール作戦に参加。台湾へ戻って来た後も、二二八事件に遭い弟を亡くし、ご本人も拷問を受けられています。台北二二八紀念館と台湾総督府において、日本語ボランティアをされていました。

思い出深い「軍歌」

蕭さんは、ご自身で日本の歌集を作るほど日本の歌を愛している方です。特に軍歌については今でも音楽を聴くと歌詞がスラスラと出てくる程。中でも思い出のある軍歌とその軍歌にまつわるエピソードを聞いて来ました。

【歩兵の本領】作曲:永井建子 作詞:加藤明勝

1番のお気に入りの曲は何ですか?とお伺いすると、すぐに「歩兵の本領」とおっしゃっていました!元々10番まである曲ですが、3番までをよく歌っていたそうです。歌詞を見ながら、楽しそうに口ずさまれていました!

【露営の歌】 作曲:古関 裕而 作詞:籔内 喜一郎

この歌は、南方へ行く輸送船内で毎日点呼の際に歌っていたそうです。点呼時に、毎日軍歌演習があり、そこでほとんどの軍歌を覚えたそうです。最初は全然知らなかったけど、毎日歌っていたら気がついたらすっかり覚えてしまっていたとのこと。

露営の歌は、美空ひばりがカバーしていたそうです。恥ずかしながら、露営=野外に陣営を構えること。また、野外にテントなどを張って宿泊すること。という意味であることすら曖昧でした…。

【海行かば】

この曲は、現在でも比較的耳にすることが多い曲ですよね!

この曲は、毎晩寝る前に歌う一曲だったそうです。「海行かば」を歌われている時に、とっても大きな声で歌われていました。

【荒鷲の歌】作詞・作曲:東辰三

この歌も覚えております。とおっしゃってすぐに口ずさんで下さったこの曲。歌詞の中の「赤蜻蛉」は、日本軍航空部隊練習機(橙色に塗られていたため)を指していて、荒鷹はその操縦士を指していたそう。とってもリズミカルな曲で、楽しそうに歌っているお姿が印象的でした。

思い出深い「童謡」

【汽車】 作曲 :大和田愛羅  作詞 :不明

学校の時分に、習った曲です。とおっしゃったこの曲。

調べてみると、1912年刊行の「尋常小学校唱歌」に掲載された曲だそうです。現在日本・岡山県内で発車メロディーとして使われているそうです。また、台湾語(中国語ではなく)にてカバーされた曲もあり、現在の台湾でも親しまれている様子が窺えました。

【台湾楽しや】作詞:辰巳利郎  作曲:山川康三

こちらも一緒に歌わせて頂きました!

歌詞がとても印象的で、「宝島・台湾楽しや いいところ」という部分は本当に今も昔も変わらずずっと魅力的な場所であるんだと強く感じることが出来ました。

【蛍の光】原曲はスコットランド民謡  作詞:稲垣千頴

現在も卒業式で歌っている蛍の光を歌って聞かせてくださいました。

蕭さんに教えて頂くまで3・4番の存在すら知りませんでした…。また、4番の歌詞は、領土拡張により文部省の手によって何度か改変されていたそう。千島の奥も「沖縄→台湾→樺太」と変遷があったそうです。

他の日本語世代の方々にもどんな日本の歌に親しみを感じられるのかお伺い出来たらと思っております。また、今まで聞いた事もなかった歌を知ることが出来、歌詞やその歌の背景を調べることで、今までとは違う観点から歴史を学ぶことが出来たのでは無いかと感じました。

日本統治下の幼少期の思い出

蕭錦文さんは、4歳の頃に苗栗の祖母に引き取られ2人暮らしをされていました。おばあさんからの愛情を深く受けていたから幸せだったけど、他の子供達よりも苦労も多かったとおっしゃっていました。

当時、お家の隣が廟であり、同世代の子供達がそこに集まってみんなで遊んでいた。子供達は、めんこ・丸を書いて跳ぶ遊び(ケンケンパ?)・竹馬・縄跳び・鬼ごっこをして毎日遊んでいたそう。(学校では日本語で話さなければならなかったが、この廟で遊ぶときは客家語で話していたそう。)

ある土曜日の晩は、蕭さんがご飯を炊く当番だった。まだ幼かった蕭さんは、どうしても隣の廟で遊んでる子供達と遊びたかった。早くご飯を炊こうとして、お水を入れずに木炭でご飯を炊いてしまい、焦がしてしまった。遊びから帰って来て、おばあさんにこっぴどく怒られてしまったそうです。

第一公学校の修学旅行は、台北に行ったそう。しかし、蕭さんは母を訪ねて小学3年の時に、一人で台北に行ったことがあったため、それほどビックリしなかったそうです。

台湾は日本の統治を受けていたこと、そしてその時代に教育を受けて日本人として生きていた人たちが確かにいたことを、皆様に少しでも伝わったら幸いです。

 

 

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