台北士林の六士先生のお墓、芝山巌学堂周辺を改めて訪問したら、道教のお祭りまで見れました。

目次

本日は、日本人学校等があって、日本人が多く住む天母の近くにある六士先生のお墓等々に行ってきた際のレポートをします。

六士先生とは

日本統治時代が始まってすぐの頃、台湾へ教育を始める足がかりとして芝山巌学堂という小学校を設立した。日本全国から7名の人材が派遣されたそう。この7名の内1名が能久親王が出征中の台南で亡くなり、それにともない一時帰国中に、「芝山巌事件」勃発。元旦に、約100名の抗日ゲリラに襲われ、残りの六人と用務員、計7名が惨殺された。

治安が悪化してきた際に、周囲の台湾住民より避難を勧められたが、「死して余栄あり、実に死に甲斐あり」「身に寸鉄を帯ずして住民の群中に這入らねば、教育の仕事は出来ない。もし我々が国難に殉ずることがあれば、台湾子弟に日本国民としての精神を具体的に宣示できる」と授業を続けたそう。

台湾の教育に賭ける犠牲精神は「芝山巌精神」と言われているとのこと。1930年には芝山巌神社が建立され、台湾教育に殉じた人々が祀られている。

芝山巌事件勃発時に不在にしていた、能久親王記念碑後が基隆にあったことを記事にしたものです。

現在の芝山巌学堂周辺

現在は、芝山巌神社は存在せず跡地は芝山公園となっています。入口がたくさんあるのですが、この階段がどおおおんとある場所からだと六士先生関連の場所はスマートに回れます。

Googlemapで「芝山岩百二崁」と検索してここからスタートだとGoodです。

この階段、中々過酷です。お水持参しましょう…。階段の作り等は神社っぽいなぁと思いつつひたすら登ります。登ったらこんな感じ。

少し進むと、広場があってまた階段があってという感じ。この階段とかとっても神社っぽいなぁと思いました。昔はこの両端に灯篭とかあったのかなぁ?と想像して歩を進めます。

ここをさらに進むと涼亭という日本統治以後に出来た休憩所のようなものがあります。この一帯に六士先生関連のものが多くありました。

「雨農閲覧室」:国民党が神社の本殿があった場所に建てた国民党軍軍人を戴笠を記念し建立したもの。戦後、この閲覧室では芝山巌事件を紹介する展示なども行われていたそうだが、民主化後「六氏先生の墓」が再建され、「学務官僚遭難之碑」も建設されたそう。

現在は、中の展示はこんな形でした。

この他にも展示があり、かなり仔細な記載がされていました。また閲覧室にはおじさま2−3人くらいが本を読んだり、ゆったりしたりしていて、生活に密着した憩いの場になっているようでした。

国民党軍軍人 戴笠将軍の墓

芝山巌事件石碑

「学務官僚遭難之碑」

裏には六士先生の名前が刻印されていました。

故教育者姓名 と書かれた石碑

この左隣に、バラバラに割れている石碑がありました。(下の割れた石碑も故教育者姓名と刻印)

復元された六士先生の墓(ズーム)

実際はこんな感じで、ちょっと気をぬくと見落としてしまいそうなので要注意です!

いかがでしたでしょうか?時代に翻弄された場所だなぁととっても身を以て感じる事ができる場所でした。台北からもほど近い場所です。是非、体力があるとき、涼しい季節に訪れられるといいのではないでしょうか?

ちなみに、私がたまたま訪れた2019年5月30日は道教のお寺のお祭りのようで、爆竹がバンバンなり、道教の行進やその更新しているおばさまから謎のパンを頂いたりしました。他の入り口から入ってしまったまる子は道が険しすぎて、フラフラっとなった時に道教パンを食べて元気回復して、神様すごいなぁと思いました。

歴史的な場所に行くといつも思うのですが、台湾人の「恩義を忘れない」心というのは本当に凄いです。自分の世代では体験していなくとも、子供達の世代も忘れていないで現在にもその心を繋ぎ続ける気持ち素敵ですよね。爆竹はちょっと怖いですが、そんな台湾人素敵です。

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