【日本語世代】台湾最南端に住む元音楽の先生にお伺いしたお話。

お久しぶりです!まる子は、色々なところに遊びに行っていてやっと落ち着きました。今日からまた更新させて頂くので、読んで頂けると幸いです!

目次

本日は、台湾最南端の県「屏東縣」の日本語世代の方にインタビューしてきた内容についてレポートします。

林さん 昭和6年生まれの88歳。14才で終戦を迎える。師範専科卒業後は、小学校の先生と音楽の先生を担当。現在でも、週2回近所の方々に日本語教室を開いて、日本語を教えていらっしゃる方。(今回は、その日本語教室の様子も見学させて頂きました!)現在でも、絵を習い始めたり、今年からは打楽器を習い始めたそう!とっても元気で前向きな姿に、感銘を受けました。

幼い時の思い出

林さんは、客家の多い潮州出身。小学校は、日本語で授業だったが、子供同士だけで遊ぶときには客家語で遊んでいた。主に、「縄跳び・手毬・ゴム跳び」をして遊んでいたとのこと。「竹馬は?」とお伺いすると、「あれは男の子が好きな遊びよ。」と教えてくださいました。

日本の歌

小学生の頃から、学校の先生だった姉の影響で、「日本語の歌・音楽」に触れ、当時から五線譜が読めたそう。(当時音楽の授業は小学生4年生〜だったそう。)

日本の歌がとっても好きで、自宅にはカラオケの機会があり、友達や元生徒たちとカラオケをして余暇を楽しまれています!おうちにはたくさんの「日本の歌」にまつわる書物がありました!また、オリジナルの思い出の歌をまとめたものなども見せて頂きました。

なかでも、最もお気に入りの歌は、「あざみの歌」。現在でもお気に入りの歌集や、たくさんの本の中から、生徒の方々に教える歌を選んでいるそう。

学校の先生として

14才まで日本統治時代下で教育を受けられた林さん。その後、師範専科卒業し20才から学校の先生になられました。当時、若い男性が皆戦争へ行っていたため、「先生になる若い女性」はとても大切にされたとおっしゃっていました。先生になられてからは、30年間は小学校の先生として、そのあとは音楽の先生としてご勤務されました。

また、14才までは日本語で勉強していたが、20才からは「國語=中国語」での授業をするために、とても厳しく中国語の教え方を学んだそう。「書き順や発音」について学校ではとっても厳しく教えていたそう。

また学校の先生として働き始めた時は、金銭的にとっても厳しかったことを教えて頂きました。1951年(当時20才) 月給は約110元 3年後に300元に。この当時はとても貧しかったとおっしゃっていました。1960年(当時29才)以降に、生活環境が良くなり、生活の苦しさが和らいでいったことをとてもよく記憶していらっしゃいました。

また、林さんは三人のお子さんを出産されているのですが、当時は出産に付き、42日間だけ休むことが出来たそう。産後42日後にはすぐにフルタイムのお仕事に復帰されていたそう。なので、当時は、小学校卒業したばかりの女の子を雇い、子供の世話をしてもらっていたそう。一番辛かったのは、「子供が病気になっても、休めなくてかわいそうだったこと。」

日本語教室について

88才になった今でも、週に2度90分にも渡る日本語教室を行われています。家の近くに教室を設けているとはいえ、介護士の方の助けを借り車椅子で懸命に、日本語を教えられている姿には感銘を受けました。生徒は、周辺在住の50〜70台の方々。みなさん日本の歌が好きで、歌を歌いたい・日本へ旅行するときに使えたらという気持ちで、熱心に勉強されていました。

この教室にも、カラオケセットが設置されていて、みなさん日本語の歌を歌って楽しまれています。

また生徒の方々が、各々旬のフルーツを持ち寄って、フルーツをつつきながら勉強されていました。(とっても台湾っぽいなぁと感じました)

まる子

私の年代とは、「歌」というものへの思いが格段に違うなぁとつくづく感じます。

日本の年配の方々も、とっても子供時代に親しんだ童謡唱歌を大切に思い、今でも口ずさみ・歌っている方が多くいらっしゃるように感じます。

健康の秘訣・老後の楽しみ

65才から近くの「關懷據點」(日本でいうデイサービス?に近いもの)に通っていて、そこで沢山の新しい趣味を始めてられています。水彩画をそこで始められ、三年間習われた後に才能が開花し、個展を開かれたこともあったそう。実際に拝見されて頂くと、とっても綺麗な絵がたくさん飾られていました!

また、一番嬉しかった思い出は、昨年「合唱コンクールで第一位を獲得」したこと。指揮者として参加したが、足が悪くなってしまっていたので車椅子で、しかも事故で片手しか使えなかったため片手で指揮をされたそう。そんな中、メンバーの方と一生懸命練習し、一番になったことは驚いたしとっても嬉しかったと、楽しそうにお話しして下さいました。

今年は、打楽器を練習し始めたそう。とっても通うのが楽しみなの!とキラキラした笑顔でお話しして下さいました。

最後に

今回は、屏東に住む林さんにお話をお伺いさせて頂きました。88才でも現役で教え続ける姿や、新しいものを学び続けることは、現在の私でも少しずつ出来なくなっていることを、本当にずっとやられている姿に感銘を受けました。年齢で「もう出来ない」ということは本当にあり得ないことだということを、教えて頂きました。また、歌というものがもつ力や、大切なものをまた感じることができました。

日本語世代の方々が、現在でも日本語を周囲の方々に教え続けているということを、少しでも多くの方に知って頂き、何か感じて頂けると幸いです。

【訪問日:2019年4月22日】

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